労働と自我あるいは繰り返しの苦痛

私は、中上健次「枯木灘」の主人公、秋幸のように、自我を忘却するために単純肉体労働で汗を流すことができませんでした。絶えず、「俺はいったい何をしているんだ」という感覚に陥り、日々の労働が苦痛でしかなかったのです。つまり、自分はまだ何ものかに執着していたからこそ、そのようなことを考えていたのです。ああ、自分はまだ何かを求めている・・・。執着とはいったい何ですか、お釈迦様。

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