弱気…

友よ
思わないか
誰もが生まれ死んでゆく
いっそこの世界など存在しなければよかったのに
いっそ生まれてこなければよかったのに…
どうして生まれ死んでいくのか
そして
最愛の我が子までもがやがて死んでいく

友よ
焼けるようなこの思いに身を焦がされたことはないか

まるで細胞と人間との関係のようだ
自分という存在はひとつの細胞に過ぎず
人間の歴史全体がひとつの有機体であるようだ

俺のこの思いはひとつの細胞の叫びに過ぎないというわけだ…

退屈

おそらく人間にとって、
いや、芸術家にとって
もっとも忌避すべきものは
退屈という奴に違いない…

悪魔

「一杯の茶のためなら世界など滅びてしまってもいい」
                                 ドストエフスキー

こんにちは、悪魔さん
もう、おまえが来ることを拒まないよ
どんなに拒んだっておまえはきっと来るんだ
でも、おまえにはついていかない
俺とすこしだけ話をしたらすぐに帰るんだ

俺はおまえに憧れていたときもあった
おまえを羨ましいと思ったときさえあった
でも俺はかなしいかな、人間なんだ
神でも悪魔でもなく…
俺は死ぬべき運命の人間を憎んだ!
死、時間、空間…
どれひとつ思いのままになりゃしない

今、俺は自分に言い聞かせる
幸せなんてどこにでもあるものなんだと
目の前の小さな幸せを大事にしなければいけないのだと
必死に言い聞かせている
悲愴な声で言い聞かせている…

ああ、それなのに、時に悪魔はやってくるのだ
忘れた頃にやってくるのだ…
だから、もう拒むことを止めたんだ
どんなに拒んだっておまえはきっと来るんだ
でも、おまえにはついていかない
俺とすこしだけ話をしたらすぐに帰るんだよ…





                           

我が子よ

愛おしい我が子よ
愛おしさのあまり、「食べてしまいたい」と思うのはなぜ

同一化願望か…

そんな我が子も、いつの日にか死んでしまう
そんなことを思い、愕然とする

誰もが社会の一員
人間という社会組織のひとつを構成しているにすぎないとしたら
誰もが歴史の一員
子孫を残すという歴史のひとつを構成しているにすぎないとしたら

永遠を望むも、超越を望むも
度が過ぎた願望であると思われ

吹きくる風は、目の前の
ささやかな幸せと生活を大事にしろと、ささやくけれど

メフィストテレスの誘惑に
心はいつもくじかれる

僕のこの願望は、もしかすると
「資本主義」に毒された「欲望」なのではという疑いが頭をよぎる
それとも、「ロマン主義」の復活なのか
それとも…
わからない…
でも、心がおそろしく飢えている…
飢えている…

我が子よ…

欲望

欲望の等加速度運動
人間の知覚可能なスピードを超える日がきっと来る

もう俺は見ない、聞かない、知らない

でも、そんなことはどうしてもできない
させてくれないのだ

ではどうやって生きていく?
観念するしかないのか…

お釈迦様は欲望を捨てろと言った
しかるにこの社会は欲望なしでは生きていけぬ
なんたる矛盾よ

スランプ

最近は何も書けなくなった
なぜかわからない
書かなければならないというものでもないし
つまらないものを書くよりは書かないほうが良いので
もう一ヶ月ほど何も書いていない
なにも書かないほうがしあわせになれるのだろう
書けば書くほど不幸になる

それでも書かなければならないときには
書かざるをえなくなるのはどうしてだろう

神の沈黙

神の沈黙
それらをすべて抱合して、なお
神にとっての必然であるというべきか

どんな行動をとっても
どんな事態が起こっても
すべては神様の手のひらの上

それを自覚したうえで
ニヒリズムにならないこと
神にとっての必然でも
自分にとっての偶然でもあるわけだから
その偶然を楽しもう
楽しむしかないのだ


理想と現実

「理想」ばかりおいかけても仕方がない
もっと現実をみるんだ

だれだって戦争は望んでいない
武器なんてこの世界になければ、それに越したことがない
けれど、そんなに現実は甘くないんだ
「IMAGINE」の世界なんて嘘っぱちだ

   以前は、こんな声に心の中で反論していた
   どうして「理想」を見ないのかと

でも、最近わからなくなった
本当の「理想」とは何なのかと

もしかしたら、齢をとり、疲れてしまったのかもしれない
もう、反論する気さえ起こらない…

ああ、もっと力が欲しい
そう思う気持ちさえ薄れていく…

嫉妬と格差

格差は嫉妬
嫉妬はエネルギー

いまや

格差はあきらめ

データなんかに頼るな
格差なんてものは嫉妬のバロメータ

たかが嫉妬
されど嫉妬
情報は手に入るが
嫉妬は解決されない

かなしいかな
人間は嫉妬をしないではいられない生物なんだ

死は恐怖か

死は恐怖か
死は苦痛か
あっちの世界に行ってしまうんだから
あっちの世界のことはさっぱりわからないんだから
確かにこわいよ

でも今までに
死ななかったひとは一人もいないんだ
そうかんがえることで少しはなぐさめになるのだろうか
そんなものはなぐさめにもならないのか

やはり死はわからない…

永遠

自分の語ったことばが
自分の子孫に受け継がれていく
そのことで自分の存在が永遠となるだろう
そのようにボルヘスは言いました

永遠を信じるかどうかは
神を信じるかどうかと同じ
ああ、神様
真実は一体…

あなたと一緒に…

夕焼けの色が胸にしみて
はじめて涙があふれました

 あなたと一緒にみることができたならば…

ひとり本をみながら手料理
はじめておいしくできました

 あなたと一緒に食事をすることができたならば…

迷子の子供が転んで
大声で泣いていました

 あなたと子供と一緒にしあわせな家庭を築けたならば…

私のみじかい一生が
いまや終わろうとしています

 あなたとともに人生を過ごすことができたならば…


…あなたは負担に思うのでしょうけれど…


汚れることが人生ならば・・・

純潔であり誠実であり続けることは不可能なのだろうか。
ランボーは結局、詩と絶交し、「ざらざらとした現実」を受け止めようとした。
ニーチェは人生の汚辱を引き受けよと言ったが、彼自身の弱さからそれができずに発狂してしまった。
中原中也は人生と和解をしようとしたところで死んでしまった。
ゴッホはゴーギャンとともに楽園をつくろうと思ったが果たせず、自ら命を絶った。
ひとり、明確に純潔であったのは、原口統三だけであった。
しかし、彼も純潔を守るために死を選ばなくてはならなかった。

生きるということは、かくも汚らわしいものなのか・・・
また、それは何故なのか・・・

生きていくことは、自分の感覚(sens)を拡散させていく、ということなのだろうか。
しかし、sensの拡散は文化や象徴という装置だけで止めることはできない。
個人の強烈な意思が必要である。
たとえば、ニーチェはそれを頭では理解していた。
しかし、彼の肉体がそれを阻んだ。
それは強靭な精神と強靭な肉体が必要であり、三島由紀夫が自らの肉体を鍛え上げたゆえんである。

ああ、また一日齢をかさね、汚れてしまった・・・



堕ちた天使

青い 空に 果てが あると
思い たくは なかった けれど
青い 海に 果てが あると
思い たくは なかった けれど

やっぱり おれも ひとの 子だな
やっぱり おれも ひとの 子だな