「つくる」の否定

種田山頭火は「私は漸く句を作る時代を通過して句を生む時代に踏みこんだのであります、私は上手に作られた句よりも下手に生まれた句を望みます、たとへ句は拙なくとも自己の生命さへ籠つて居れば、それだけで存在するに足ると信じて居ります・・・」と手紙に書いていました。中原中也も「名辞以前のうた」を主張し、「おれはここで待つていなければならない」と歌いました。種田山頭火も尾崎放哉も井上井月も、劇的な人生を送りました、彼らの作品はまさに「苦」作であり、極限までシンプルなことばの間に、底なしの人間の苦悩が波うち、私たちの胸を強く打ちます。そう、決してつくってはいけない。たとえ究極の表現方法が「死」であっても。種田山頭火の人生は、感じてしまった人間には、そう生きざるをえない、またそういう人間を社会がどう扱うのかは、時代によって異なるということを強く思い知らされました。

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